【久留米市】菅原道真公を祀る「上津天満宮(本山天満宮)」に参拝へ。突如現れた最強のLOVEの木パワースポットが話題の神社。

久留米市上津町の小高い丘に鎮座する「上津天満宮」。または本山天満宮とも言われています。

2025年上津天満宮由緒は不明ですが、明治6年に旧村社に定められ、明治43年に無社格の天満宮を合祀。

2025年上津天満宮
境内では古代遺跡で縄文石器・弥生石器も採集されています。

オレンジ色の梁柱がポイントの本殿には、祭神 菅原道真公が祀られています。

2025年上津天満宮拝殿内には多くの絵馬が奉納されており、氏子さんなどから愛されているのが伝わってくる神社です。

2025年上津天満宮

上津天満宮由緒

当社は学問の神様として知られる菅原道真公を祭神とし敷地境内併せて9000㎡の森の中に鎮座しています。寛文10年(1670今より317年前)当社の宮司・河内宮内及び当村庄屋、市右衛門が有馬藩に提出した報告書によると当社は上津荒木村(千束・本山・上津・二軒茶屋・野添)の氏神で、社殿は二間に三間の萱葺き。陰暦11月15日村中で祭礼を行い、お供え上げ、御酒を供え御神楽相つとめたとあります。鎮座の時期については同書上でも不明としていますが中世までさかのぼることは確かと思われ、又境内は古代遺跡で縄文石器・弥生石器も採集されています。
現在の社殿の建立の時期についても不明ですが鳥居・こま犬等の刻銘から文政の頃かと推定されます。
本殿東奥に三つの祠があり、中央が豊姫宮(別名:乙姫宮)向かって右は若宮八幡宮、左は天神社です。共に上村(上津)区域に鎮座していたものを大正14年現在地に移転したもので、中央の祭神は女の神 安産の神「豊比咩命神」で高良の神の配偶神だと云われています。この神は一説によれば天長4年(827年)の勧請ともいわれ、その後、玉垂命神と相並んで神階を授けられ、寛平9年(897)には正四位上に叙されています。正史上の豊比咩神は玉垂命神と同殿かあるいは両宮相並んで鎮座していたもののようです。(案内板)

2025年上津天満宮また、本殿裏手には境内社の「豊姫神社」があります。

2025年上津天満宮延喜式内社 筑後國三井郡 豊比咩神社(とよひめ)の論社となっており歴史のある神社です。

とても立派な石祠が3つ並び、中央には豊姫宮、右に若宮八幡宮(仁徳天皇)、左に天神社(大幡主)の構成となっています,

2025年上津天満宮
中央の豊姫宮の祭神は高良神の配偶神の「豊姫(とよひめ)」と言われています。

他の論社には「高良大社」(久留米市御井町)、「豊姫神社」(久留米市北野町大城)、「赤司八幡神社」(久留米市北野町赤司)があります。

石祠

天満宮手に数基の石祠があるが、中でも若宮八幡宮 豊姫神社 天神社の三石祠は巨大さと華麗さで目すべきものがある。
最大規模の豊姫宮の石祠は、殿部の高さだけでも150センチメートル近くあり規模の大きさでは市内随一である。下から壇石・床石・殿部・天井石・屋根石と組み重ね屋根は唐破風付き入母屋型で、華美な花紋をあしらった彫刻を施す。殿部は背面と両側面を八個の板石を組んで構成し、前面に二枚の扉石を立てる。特徴的なのは、扉前に二本柱を立てをさし渡して鳥井型の造り出しを設けたことで豪華な宮殿を模している。これだけ規模が大きくなると各部の用材も一石で処理することがかなわず、数石の組み合わせで構築される。他の二石祠もやや小型ながら、類型である。大正十四年長野の石工棟 池田竹次郎・内山佐次郎の力作で近代石造工芸品の中でも異彩を放っている。
(案内板)

2025年上津天満宮

最強の⁈ ♡パワースポットを発見!! 

2025年上津天満宮本山公園の方へと降りると、突如現れた最強のLOVEの木があります。

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氏子さんにお聞きしたら今までは無かったようで、突如ハートにくり抜かれた桜の木が発見されたそうです。

2025年上津天満宮しかも、よ〜く見ると中央に蛇がニョロっと居るようにも見えます。

2025年上津天満宮2025年は巳年なので、密かに人気がでること間違いなし!!

自然にできたハートなので、いつまで形を留めているか分かりません。気になる方は早めに見に行ってみてくださいね♪

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