【小郡市】延喜式(えんぎしき)内社で筑後四社の内の一社である「御勢大霊石神社(みせたいれいせきじんじゃ)」。神功皇后ゆかりの由緒ある神社。
小郡市大保に鎮座するのは『御勢大霊石神社(みせたいれいせきじんじゃ)』。
御勢大霊石神社は、延喜式(えんぎしき)内社で筑後四社の一社である由緒ある神社です。
本殿までの立派な参道
まず、出迎えてくれるのは石造りの大きな一ノ鳥居です。
その奥には心字池があり石造りの太鼓橋がかかっています。

二ノ鳥居からの参道のアプローチも立派です。
年式は不明ですが狛犬がお出迎え。
二ノ鳥居を過ぎると拝殿前の左側には存在感ある大きな御神木があります。
この「子孫繁栄御神木」は、御霊石に支えられ、楡欅(にれけやき)、もちの木、榊の三本の木が三位一体となって合体し、非常に雄大な姿をしています。
側面から見るとこのような感じです。
子孫繁栄御神木には、子孫繁栄、良縁結び、家内安全の御利益があるそうです。
更に、御神木の傍に植栽されている松の木は〝臥龍松″と言います。
横から見てみると、天へと昇龍(昇運)してるような形をした縁起のいい松です。
他にも大木が植えられており神聖なパワーを感じられる境内です。

御勢大霊石神社の主祭神は
御勢大霊石神社は、主祭神は足仲彦大神(あしなかつひこのおおかみ=第14代 仲哀天皇)です。仲哀天皇の妻はあの神功皇后です。御勢大霊石神社は、神功皇后ゆかりの神社と言われています。
諸説はあるようですが、神社の始まりは神功皇后2年(202年)、第14代仲哀天皇が熊襲(肥後国球磨・大隈国曽於地方の豪族)征伐に当たり、天皇の仮の御所として、この地に行宮(あんぐう)を設けました。

本殿
ところが天皇が戦線を巡視した時に毒矢に当たり、この地で崩御したと言われています。妻の神功皇后は兵士の士気の衰えることを恐れて喪を秘し、熊襲征伐の後、香椎の宮で発喪(死を公表)しました。その後、朝鮮出兵にあたって、御魂代の石を軍船にのせ仲哀天皇の鎧と兜を着せて征途につき、戦勝後凱旋すると、その石を天皇の御魂代として、また朝鮮半島を守る不動石として祀ったと伝えられています。
この石は、御勢大霊石(みせたいれいせき)として社前に祀られ、立石の場所が天皇殯葬(ひんそう)の地と言われています。社名にある「御勢」の「勢(せ)」とは「夫(せ)」の意味で、神功皇后が仲哀天皇のことを「せの君」と呼んでいたことが由来だと言われています。
延喜式(えんぎしき)内社 筑後四社の一社
そんな御勢大霊石神社は、延喜式(えんぎしき)内社 筑後四社の1社とされ、由緒ある神社です。
延喜式内社 筑後四社の残り筑後三社は、高良玉垂命神社(高良大社)と、伊勢天照御祖神社(高良大社の境内社)と、
豊比咩神社 (上津天満宮の境内社)となります。
御朱印
御朱印は、拝殿のお賽銭箱近くに書き置きが用意されています。

御祭礼日

2月 初午節分祭
2月6日 粥占い祭
4月15日 石祭
7月31日~8月2日 茅の輪神事、夏祭
9月13日 粟島神社例祭
11月15日 七五三祭
12月14日 例大祭
駐車場
御勢大霊石神社の参拝者駐車場は、小郡七夕通り沿いにあります。
御勢大霊石神社の大きな看板が目印。








